ひとりごと

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その夢は いつまでも忘れないで

2016年11月17日に放送を開始したアニメ「ポケットモンスター サン&ムーン」シリーズが、今週末に終了する。アニポケは無印世代で、ダイパまでは妹弟たちとそれなりに見てきた。XY&Zの途中から再視聴をはじめたが、長いアニポケ人生でほとんど全話欠かさず見ることができたのは今シリーズがはじめて。仕事に終われて見逃した回も、Amazonプライムで見ることができるので、テレビにかじりついて見ていたあの頃を思い返すと便利な時代だなと思う。

サン&ムーンはアニポケの中でも異色作だった。無印からXY&Zまで、サトシの旅は一連の流れとして続いていた。しかし今シリーズはXY&Zとの明確な繋がりはなく、マサラタウンで暮らすサトシがアローラ旅行に来るところからはじまる。サトシは旅行先でポケモンスクールの存在を知り、自分も学びたいとククイ博士の家でホームステイすることになる。

アローラで「旅」というポケモンの定型からはみ出したサトシとピカチュウは、とても自由に見えた。仲間を増やし、ジム戦に挑み、リーグ優勝を目指すという過去シリーズの一連の流れは、無意識にも主人公に「成長」を義務付ける。成長したベテランを待つのは、挫折やスランプという「大人」ならではの問題だった。

しかし、シリーズがいくら長く続こうが、彼は10才の少年だ。公式がメイン視聴者を子どもと設定する限り、時代が変わっても、サトシは子どもたちに親しみやすさを感じさせるキャラクターでなければいけない。サン&ムーンは冨安監督の下、特に意識して「子ども向け」という視点に立ち返ったシリーズだった。まず、キャラクターデザインがシンプルで緩やかな親しみやすいタッチに変わり、ギャグやパロディをふんだんに取り入れ、ほのぼのとした日常回が多く描かれた。
また、従来のシリーズよりもポケモンを動物らしく扱っていて、サトシのピカチュウも「ピカピ(サトシ)」や「ピッピカチュウ(ゲットだぜ)」と言ったお馴染みのピカチュウ語を使わない。長年慣れていたこともあり、はじめは物足りなさを感じていたが、ピカチュウがサトシの言葉を理解する、しないの加減が絶妙で、その新鮮さも楽しみの一つだった。

「子どもらしいサトシ」「シンプルなキャラデザ」「ギャグ&パロディ推し」「言葉を理解しすぎないポケモン」という特色は、私と同世代であれば無印との共通点を思い浮かべることができると思う。時代も違えばスタッフも変わっているので、描き方に差はあるが、無印アニポケのコンセプトを「少年時代へのノスタルジー」とし、子どもに寄り添った物語を意識した首藤さんの考えに近いものを感じていた。

サン&ムーン編開始の半年後に公開された劇場版は、無印シリーズを元とした「キミにきめた!」だった。無印世代にとっては二つの意味で「少年時代へのノスタルジー」を感じてしまう作品であり、青文字の「ポケットモンスター」というタイトルの記念すべき1作目となった。
サン&ムーン本編とキミきめは直接の繋がりはなく、パラレルワールドのような関係だか、両者に意識して描かれていることはとても似ている。一つは前述の「子ども向け」の視点、もう一つは湯山監督の言う「ポケモンネイティブ」への視点だ。

子どもの頃からポケモンという存在を身近に感じながら育ったポケモンネイティブも20代、30代となり、立派な親世代となった。ポケモンの成長を支えてきた彼らが、自分の子どもとアニポケを楽しんでくれるためには……ということを冨安監督は常に考えてきたのではないだろうか。

サン&ムーンと無印の類時点については述べてきたが、大きな相違点がひとつある。それは「大人の描き方」だ。
無印に登場する大人は、頭が固くて下らないことで揉めたり、人を貶めたりと意地の悪いキャラクターが多い(思い付くのは「たいけつ!ポケモンジム」でストライクとエレブーを戦わせるジムリーダーとか、「アオプルコのきゅうじつ」のおばばとか)。第1話に関してはハナコママもオーキド博士も、これから命懸けの旅に出るサトシに対してわりと淡白だったりする。こうした描き方は「子どもの気持ちは子どもにしかわからない」という、首藤さんらしい線引きのように感じる。だが、首藤さんが作ったポケモン世界の魅力は凄まじく、結果としては「ポケットにファンタジー」のような大人が私を含め、たくさんいる。

そんなポケモンネイティブを肯定してくれるのが、ククイルザミーネというキャラクターだ。
サン、ムーンの原作ゲームのテーマは「家族」だと聞くが、それはアニポケにも通じている。
ククイとサトシのやりとりは、本当の親子でなくとも家族のようだし、反対に血の繋がった親子であるにも関わらず、良好でなかったルザミーネグラジオ、リーリエの関係も面白かった。特に、今作の悪役となるはずだったルザミーネの改編は、個人的にはとてもよい判断だったと思う。ククイルザミーネポケモンのことが大好きで、サトシと同じように夢に向かって懸命に取り組んできた。その過程でククイグズマと仲違いし、ルザミーネは家族を省みれず子どもたちに孤独感を抱かせてしまう。真の悪役がいないからこその日常のすれ違いのリアルさが、他のシリーズにはない魅力だった。

細かい部分の話をすると、日常生活の場面が増えたことでサトシが家事に挑戦するシーンが見れたのも嬉しかった。無印~は保護者としてのタケシがいたし、XYではサトシにベテラン感がありすぎて、家事を手伝わない父親のように見えてしまうのが辛かった。
最初ククイは独身で、途中でバーネットと結婚する、という流れも良かったと思う。結婚前にバーネットが家に来て家事をしようとした時に、ククイが「家事をしてもらうなんてとんでもない!」といった発言をしたことに、妙に感動したのを覚えている。家事は特別なことではないし、サトシも苦手だからやらないのではなく、苦手なりに前向きに取り組む姿勢が見ていて気持ち良かった。

主人公サトシの物語として見ると、少し物足りない部分はあったかもしれない。何せ、主人公が困難にぶち当たることがあまりない。問題が起きても、持ち前の明るさと機転の早さで乗り越えてしまうのだ。
サン&ムーンのサトシは少なくともカントージョウトを旅しているし、バトルの経験も豊富で、精神的に追い詰められる場面もない。サトシ自身が「成長」することを義務付けられなかったはじめてのシリーズとも言える。過去最高の状況でリーグ戦に出場できたのだから、優勝も当然だ。

ただ、ククイとのエキシビション・マッチの結果は、正直予想ができなかった。サトシにとってのククイは、先生であり、親であり、大切な家族だ。一方、ククイにとってのサトシは家族であることはもちろん、バトルの楽しさを教えてくれた相手であり、憧れ、目標のような存在だったのだと思う。3年間、一緒に生活しながらも一度もバトルしたことのなかった両者のバトルは、どちらが勝っても感動的だったはずだ。
今回、サトシが勝ったのは何故か。ククイポケモンネイティブを体現したキャラクターだったからだ。子どもの頃にサトシに憧れ、ポケモンと共に成長し、大人になってもう一度サトシと真っ向勝負したいと全力で戦い、もう一度負けて、またサトシに憧れる。こんな幸せなことはないと思う。

サン&ムーンの第1話でカプ・コケコにZリングをもらった時から、サトシはこれまでの挑戦者としての立場以上に、アローラの救世主としての役割が強かったのかもしれない。サトシが自然体のまま救世主として活躍できたのは、20年以上の旅の経験があってこそだし、旅の途中で巡り会えた大勢の子どもたちが今もなお、サトシに憧れて応援しているからだ。そして、このサン&ムーンでポケモンネイティブになった子どもたちが大人になる時代が待ってるのなら、意外に未来は暗くないかも、と思ったり。

個人的には最高傑作だったサン&ムーンシリーズ。この年齢で最後まで完走できたのは奇跡かもしれない。シリーズの終わりはいつだって寂しいけど、サトシの途方もない夢の先をいつまでも見ていたい。
2回目の「ポケットモンスター」、楽しみにしてます。