ひとりごと

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無題

嵐について。

2017年の嵐のコンサート「untitled」が本当に大好きで、東京ドームでみてからBlu-rayの発売が楽しみで堪らなかった。

untitledというアルバム&コンサート名が決定するのと、嵐が休止に向けての話し合いをはじめたのと、どちらが先だったのか私にはわからない。

けれど、きっと大野さんの相談を受けての「untitled」だったのではないかと思っている。

 

自分はいろんなものに興味のあるオタクだけど、基本的に何かを好きになる上で重要なのはストーリーとキャラクターだ。

好きな登場人物を演じる俳優さんや声優さんが良くて、後から本人を好きになることはあっても、その逆はほとんどなかった。

嵐を好きになったのも、「魔王」のDVDをみて表現者としての大野さんを好きになったのがきっかけだった。

 

芸能界に疎くてジャニーズに興味がなかった私が、大野さんの才能に魅せられ、嵐というグループごと好きになったのは自然な流れだった。

しかし同時に、違和感も感じていた。

それは作品を好きになることと、アイドルという生身の人間を好きになることのギャップだったんだなと、今なら思う。

 

アニメや映画なら、長寿作品のキャストが途中交代する可能性もあるけれど、製作陣の続けようという意志があれば続けることができる。

それがアイドルになると、どうしたって替えが効かない。

「嵐を好きになる」ということは、結果的にメンバーの人生を娯楽として消費することなってしまう。

彼らが嵐でいつづける事実そのものが作品なのだ。

そして悲しいくらい、嵐自身もそれを自覚している。

 

2017年当時、未来の嵐の在り方を模索する最中に選ばれた「untitled」という題。

その言葉自体に強い意味はないが、コンサートそのものは大曲「Song for you」を中心に、極めてメッセージ性の高い選曲で構成されている。

それこそ「Song for you」のニュアンスをタイトルにすることもできたはずだ。

しかし、嵐は最後を「未完」で飾り、あえてタイトルをつけられないセットリストにした。

「無題」でも作品になり得るのが嵐、というべきか。

 

以下、untitledをみた直後の自分のツイート。

 

 

1月27日の会見では「誠意」という言葉をよく聞いた。

“未来への「約束」ではなく、今現在の「決意」を見せる”というuntitledで感じた姿勢は、あの時の嵐の「誠意」そのものだった。

誠意があるからこそ、大野さんは自分にもメンバーにもファンにも、嘘をつきたくなかったんだろう。

 

会見での嵐は完璧だった。

話し合ってきた時間の重みが、確かに感じられた。

私は嵐のファンであることを誇りに思うし、短いながらも好きでいて本当によかったと思う。

メンバーの心強い言葉と笑顔に、元気づけられるばかりだ。

 

だけど、それでもやっぱり、どうしようもなく辛い。

これは、生身の人間の人生を娯楽として楽しんできたことへの罰なんだと思う。

 

「嵐を宝箱に閉じこめたい」という翔さんの言葉は、優しくてエゴイスティックで残酷で美しい。

「終わり」があることを嫌でも突きつけられる。

そんな脆さと美しさの狭間で、嵐というアイドルはこれから、なお一層輝こうとしている。

 

「未完」のその先を、ずっとみたいと思ってきた。

でも今は、そのための一歩がとても怖い。

泣けも笑えもせず、立ち尽くしてしまう自分がいる。

 

同時にあの日、東京ドームで、はっきりと目をみて手を振り返してくれた大野さんの笑顔を、大野さんの誠意を、私は忘れることができない。

 

“Do you wanna ride!? ”の呼び掛けに応えられる準備を、少しずつでもはじめられますように。